獣医解剖学の明日(あした)
遠藤 秀紀
(国立科学博物館・動物研究部・動物第一研究室)
1) 解剖学無きZoology
 われわれは、獣医解剖学の実質的産物と思想的背景の大半を、還元主義生物学のそれに置き換えてきた。ここで問われるのは、研究者の自己認識のレベルである。わが国において、解剖学無き、自然誌学無きZoologyがスタートしてから、日本の獣医・家畜解剖学は世界的に見て異質な状況下にあり続け、特異な責務を果たしてきている。そこに還元主義の呪文が心地よく降り注いだとき、先人そしてわれわれは、自らの異質な位置づけを認識した上で対処してきたであろうか。

「認識無き刷新は、愚かな破壊に過ぎない」
ここでは、獣医解剖学を考える土台を共有することを目的とする。

2) 全方位遺体科学の提唱
 解剖学は非戦略的学問である。好奇心からテーマを決め、必要な合理的研究を進める分析型生物学とは全く違う。日々生じている死体を片っ端から集めることが、解剖学にとって本質的に唯一の研究方法である。昨日はキリン、今日はライオン、明日はヒト・・・。生じる死体を最大限に活かすのが、解剖学者の生き様である。今本人にとって何の価値もない死体でさえ、全力を挙げて標本化するのが解剖学者の姿である。しかし、我々は、あまりにも、この解剖学者本来の姿勢を放棄してきた。

「死体を捨てる者は、解剖学を捨てる者である」。
ここでは、解剖学にあるべき姿勢を、演者の日々から再現してみたいと思う。

3) 境界域解剖学への願い
 既に今日、解剖学の大半は分析的である。特にそういう領域を、境界域解剖学と呼ぶことにしよう。では、境界域解剖学者のアイデンティティーとは一体何か。還流固定の方法を知っていることか?。分光光度計より先にミクロトームに触ったことか?。遺伝子屋ではなく、細胞生物学をやっているというプライドがあることか?。時々、形態の論文を読むことか?。解剖学実習という名のお稽古ごとをdutyとして背負わされていることか?。全て違う。上のような点は、何ら科学思想上のアイデンティティーとはなり得ない。
 演者は、死体を軸に明日をも知れぬ道を歩む特攻隊的解剖学者である。そして特攻隊は、近代生物学において、あくまでも解剖学の一部しか担うことができない。
「境界域解剖学と特攻隊の綿密な相互理解を基礎にしない以上、解剖学に明日はない。」
演者の信じる解剖学の将来は、その一点にかかっている。


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